イギリスポークパイ発祥の地を訪ねて

市ヶ谷のお店のオープン準備をしていた2015年のこと、私はいちどイギリスに帰ることにしました。家族や友人に会うのはもちろんですが、ミートパイについてあらためてリサーチするためです。

最初に訪れたのはロンドン。パイ&マッシュで有名な伝統的なカフェにたくさん行きました。ただ正直なところ、パイそのものよりも、私はインテリアに魅了されました。大理石のテーブルや木製のベンチなどの古い英国式の家具や設備は、とにかく圧巻でした。

ロンドンの次に訪れたのが、大学都市マンチェスターに近い北部の町ボルトン。ボルトンはパイ作りのメッカ。私の使命はもちろん、老舗の道具メーカーに行って、パイ作りに欠かせない器具を注文することでした。

そうしてイギリスの中心部を旅しながら、大学時代の友人と夜をともにすることになりました。25年ぶりの再会です。車で北上するためのルートを確認すると、レスターシャー州のメルトン・モーブレーという小さな町の近くを通ることがわかって嬉しくなりました。この小さな町こそが、イギリスのポークパイ発祥の地だからです。

その日はイギリスの夏には珍しく、気温が30度以上ありました。運転しながらラジオを聴いていると「暑すぎるね」という話ばかり。イギリス人は天気の文句を言うのが本当に大好きなんですね。雨が降れば “too wet” 降らなければ “too dry”。でも私は、そんな暑いイギリスの夏の日をイギリスで過ごすのが、とても好きでした。

メルトン・モーブレーは伝統的なイギリスの田舎のマーケットタウンで、イギリスで3番目に古い市場だといわれます。町の中心部は週2日にぎわうマーケットで埋め尽くされ、町のすぐ外には大きな家畜の競売場があります。私はまず競売場へ行って、羊、牛、鶏などの家畜やペットのオークションを1時間ほど見て回りました。隣には大きなマーケットがあり、そこで美味しいソーセージサンド(もちろんブラウンソース付き!)と定評のケーキを買って食べました。食後はアンティークショップや蚤の市を見て回り、白鳥の形をした素敵な植物用のポットを発見。そのときすでに私の店の名前は決まっていましたから、買わないわけにはいきませんよね。今も大切にお店に飾っています。

そのあとは、旅のいちばんのお目当てである場所へ。メルトンモーブレーポークパイの発祥の地であり、現在はこの町で最も有名なポークパイ・ベーカリー「Dickinson & Morris」の本拠地でもある「Ye Olde Pork Pie Shoppe」です。

Yes, that is a very small horse

スワン&ライオンを何年も営業するなかで、パイの種類についてお客さまから質問を受けることが多々あります。イギリスのどの地域や町が原産地なのかといった質問です。けれども残念ながら、これといった答えがない場合が多いんです。たとえばステーキ&キドニーパイには、とくに産地はありません。パイやフィリングの原産地についていろいろ調べてみても、なかなか情報が見つからないのです。

そんななかポークパイには、メルトン・モーブレーが起源だという、れっきとしたアイデンティティーがあります。現在ポークパイはイギリス全土で生産されていますが、最も有名なのが、このメルトン・モーブレーのポークパイ。その特徴は、パイ型を使わずに手作業でペーストリーケースを作る「手焼き」であること。そのため型に入れて焼いたパイのようなまっすぐな側面ではなく、膨らみがあるのが特徴的。また生肉を使っているため、中身のフィリングがグレーなのも特徴です。

手焼きでパイを作るためには、「ドリー(dolly)」と呼ばれる木型を使って、その周りに生地を形成していきます。

この木型ドリーは、ポークパイ職人として知られるメアリー・ディキンソン(Dickinson & Morrisの創業者ジョン・ディキンソンの祖母)が初めて導入したと言われ、彼女こそがメルトン・モーブレーのポークパイの創始者と言えるかもしれません。彼女の孫であるジョン・ディキンソンがベーカリーを開業したのが、1851年のことです。

今月のおすすめレシピでは、手焼きパイのレシピをご紹介しています。木型のドリーを使っていますが、皆さんがお持ちのジャムの空き瓶を使って作る方法もご紹介していますので、ぜひお試しになってみてください。: https://www.swanandlion.com/chicken-smoked-bacon-pie-japanese/

ここで、ポークパイの歴史をさらりとご紹介しておきましょう。

イギリスでは何世紀も前から存在しているポークパイ。ポークパイに似た最古のレシピは、とてもベーシックな湯煎式の菓子器に豚ひき肉を詰めたもので、1390年(中世)の写本『The Forme of Cury』にまで遡ります。初期のポークパイは長方形でフルーツが入っていることが多く、その形から「棺桶」とも呼ばれたそうです。18世紀半ばになって、現在のようなポークパイが流行し始め、とくにメルトン・モーブレー周辺でポピュラーになりました。その理由はチーズ。当時、この地域はイギリスでも有数のチーズ生産地となりつつあったため、チーズ生産時の副産物であるホエー(乳清)がたくさん供給されるようになりました。このホエーはタンパク質が豊富で、動物の飼料に最適。そのため、いわば誰でも豚を飼育できる状況があったのです。そして、その豚肉を塩で味付けし、パイ生地で包んで空気を遮断することで、理想的な保存方法を実現させたのがポークパイでした。

ポークパイは、地元の農場労働者が気軽に携帯できる軽食となりました。その光景は、狐狩りでこの地を訪れた富裕層の目にも留まりました。彼らもパイを食べたかったんですね。パイはそれを機に、上流社会のピクニックやお茶会、ハンティング・パーティーなどという文化にも取り入れられるようになりました。

2009年、メルトン・モーブレーのポークパイはEUの「保護地理的表示認証(Protected Geographical Indication)」を取得しました。指定された地域、製法で生産されたものだけが「メルトン・モーブレイ・ポークパイ」と表示することを許されるという意味です。

そして最後にもうひとつ。ポークパイといえば、「ポークパイ・ハット」を忘れてはいけません。60年代にジャマイカの「ルード・ボーイズ」で人気を博したこの帽子は、70年代後半のイギリスで、スカを愛するサブカル層であるモッズやスキンヘッズたちによって愛用されました。

なかでも、私が10代で初めてダンスフロアに立つきっかけとなったバンド「ザ・スペシャルズ」は格別。ダンスのおともに1曲どうぞ。

Photo by Gavin Watson

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