グラストンベリー
今年はじめ、私は家族に会うためにイギリスを訪れたのですが、そのさなかに電気自動車Fat500のレンタカーをかりて、実家からサマセット州のグラストンベリーまで小旅行してきました。この町を最後に訪れたのは約15年前。どんなふうに変わったのか興味がありました。私の記憶では、グラストンベリーは典型的なイギリス田舎町の小さなマーケットタウンで、中心街には、精肉店やパン屋、銀行や新聞屋さんなど、いわゆる普通の地元のお店が並んでいました。それが、この数十年でどう変わってたのでしょう? 私の記憶にあるグラストンベリーは、つねにどこかヒッピー的な雰囲気があったのですが、今では本当にイギリスのあらゆる「ニューエイジ」の本拠地に。私は結局、その日丸一日グラストンベリーで過ごし、ただあちこちを散策して雰囲気に浸っていました。この地には永住者や観光客など、実にさまざまな人々が集まってきます。もし、水晶や女神像、お香、ドリームキャッチャー、スピリチュアルな本などが必要なときは、ここに来れば間違いありません。
神話と伝説に彩られたこの町には、観光スポットもたくさんあります。グラストンベリー・トーは、この町の象徴的なランドマークとして世界中に知られ、古くから異教徒とキリスト教徒双方にとって、宗教的にもスピリチュアル的にも重要な場所でした。キリスト教の伝説上では、アーサー王と王妃グィネヴィアの埋葬地であると信じられているそうです。そしてここは、今ではスピリチュアルやニューエイジ信仰の中心地にもなっています。現代の多様な信徒、ドルイド信者、またオルタナティブなスピリチュアル信奉者たちにとっても、聖地となっています。グラストンベリー・トーの頂上には、セント・マイケル・タワーと呼ばれる中世の石造りの塔があり、頂上まではかなり登りますが、登りきると、周囲の田園地帯の素晴らしいパノラマが広がります。
トーに登ったあと、美しい庭園と果樹園に囲まれた天然の泉チャリス・ウェル(井戸)へ行きました。この井戸の歴史は数千年前にさかのぼり、キリスト教とキリスト教以前の伝統の両方に関わっています。古代から巡礼や儀式に使われる場所だったようです。このチェリス井戸は、イエス・キリストが最後の晩餐で使用した伝説の杯である聖杯と関連付けられることもしばしば。鉄分を多く含む赤みがかった井戸水は、キリストの血を象徴しているとも言われます。この井戸水は癒やし効果があるとして有名で、地元の人々は大きなボトルに水を入れて持ち帰り、自宅で使ったり、スピリチュアルな儀式やセレモニーに使ったりしています。私は井戸の前で人々を眺めながら、1時間ほどその静寂を楽しんでいました。
町の中心部に戻って少し歩いたあとは、グラストンベリー修道院の跡地を訪れました。伝説によれば、この修道院は、イギリスにキリスト教をもたらしたというアリマタヤのヨセフが創建したといわれていますが、実際には7〜8世紀に建てられ、その後ヘンリー8世の命令により計画的に解体されています。アーサー王伝説とも密接な関係があり、中世の言い伝えでは、この修道院がアーサー王と王妃グィネヴィアの埋葬地であり、1191年に、アーサー王とグィネヴィアの遺体とされるものが発見されています。入場料は約12ポンド。歴史や伝説に関する情報が充実していました。日本語ガイダンスはこちらです:
グラストンベリーでの一日の終わりに、私は10年前にミャンマーの小さな山間の町に日帰りで行ったとき以来の体験をしました。一日中笑顔でいると、顎が痛くなるんです。グラストンベリーはまさに、そんな笑顔の体験ができる町でした。この記事の最後に、私が撮った写真の一部を掲載していますので、ぜひご覧になってみてください。
ただ、ひとつだけお伝えしておきたいことがあります。グラストンベリーを訪れるなら、グラストンベリーフェスティバルが開催される時期(例年6月のいまの時期)は避けたほうがよいかもしれません。ものすごい人や車です。もちろんフェスティバルが目的なら、致し方ないですね。
グラストンベリー・フェスティバル
先日6月21日の夏至の日、「グラストンベリー・フェスティバル・オブ・コンテンポラリー・パフォーミング・アーツ」のゲートが開かれ、約20万人の参加者の第一陣がフェスティバル会場に流れ込み始めました。今年は史上最多のチケットが販売数で、記録的なスピードで売り切れたそうです。公演のフルラインナップが発表され、3,000以上の公演が用意されています。熱心なファンによって知られるようになった“グラスト”は、6月21日から25日までの5日間、グラストンベリーの郊外にある900エーカーの酪農場「ウォルシー・ファーム」で開催されます。2023年は第38回目の開催。今年のメインステージ――象徴的なピラミッドステージのヘッドライナーは、金曜日がインディーロックのアークティック・モンキーズ、土曜日はハードロックのレジェンド、ガンズ・アンド・ローゼズ、そして日曜日がエルトン・ジョンです。エルトン・ジョンはライブ活動の休止を発表していますから、今回のグラスト公演がイギリスでの最後の公演になりそうです。フェスのとりとして大きな感動を呼ぶことでしょう。グラストでは、現代音楽のほか、ダンスやコメディ、演劇、サーカス、キャバレーなどさまざまなアートが披露されます。メインステージではもちろん、ポップスやロックの一流アーティストの演奏が繰り広げられますが、小さなステージやパフォーマンスエリアには何千人ものアーティストが登場します。
このフェスティバルの第1回目は1970年9月に開催されました。「ピルトン・ポップ&ブルース・フォーク・フェスティバル」と名付けられたこのフェスは、ウォルティ・ファームのオーナーであるマイケル・イーヴィスが、1970年のバース・フェスティバル・オブ・ブルース&プログレッシブ・ミュージックでレッド・ツェッペリンがヘッドライナーを務めた野外コンサートを見て、初開催を決定したそうです。当時の入場料は1ポンド(ウォルティ・ファームの無料牛乳付き。グラストンベリー1970は、ジミ・ヘンドリックスが亡くなった翌日に開催されました。約1500人が参加し、ヘッドライナーはティラノサウルス・レックス(のちのT-Rex)。出演できなかったザ・キンクスの代役を務めました。
その翌年、フェスティバルは「グラストンベリー・フェア」と名前を変え、6月の夏至の日の開催となりました。同1971年には、まずピラミッド・ステージが建設されます。ギザのピラミッドの10分の1の規模で計画されたこの建造物は、ビル・ハーキンによる設計で、ウォルティ・ファームの吉兆とされるレイライン上に足場丸太と金属板で建てられました。ピラミッド周辺では7,000人以上の人々がキャンプをし、デヴィッド・ボーイやフェアポート・コンヴェンションなどを観賞しました。フェスの宣伝はとくにおこなわれず、口コミで広まっていったそうです。当時、この週末は無料で、魔法のような時空間を祝うことが目的でした。
グラストへの最初の巡礼者のなかには、ファッション写真家のポール・ミッソもいました。オスカー俳優のジュリー・クリスティとモーターキャラバンに乗ってA303号線をサマセットまで走ってきたのです。クリスティがやってきたのは、友人の映画監督ニコラス・ローグに誘われたため。ニコラスはこのイベントを題材にしたドキュメンタリーの制作を計画していて、観客のなかに有名なクリスティがまぎれているシーンを撮りたかったのです。ミッソはこのプロジェクトのスチール写真撮影を依頼されました。ミッソの写真には、1970年代初頭のカウンターカルチャー、ヒッピー、フリーク、ドルイド信徒たちの姿が凝縮されています。ここでは、夜ライトアップされたピラミッドステージなど、象徴的な写真を何枚かご紹介しておきましょう。
こちらは、朝の5時に演奏されたデヴィッド・ボウイの「Changes」。フェスティバルの画像とともに紹介します:
1978年のグラストンベリーは“即席”フェスティバルとして知られています。ストーンヘンジの夏至の集いから流れ着いた多くの「ニューエイジ・トラベラー」が、フェスの開催を信じて集まってきたのです。熱い話し合いの結果、無料のミニ・フェスティバルが開催されることになりました。ステージの電源はキャラバンの電気メーターで賄うなど、組織も設備もほとんど整っていない状態での開催でした。
1981年、現グラストの主催者であるマイケル・イーヴィスがはじめて主導権を握ります。彼はフェスを「グラストンベリー・フェスティバル」と命名し直し、初の収益を上げてCND(核軍縮反対運動)に2万ポンドを寄付。ピラミッドステージを新設し、冬には干し草の納屋と牛小屋として使える常設施設としました。
さて、グラストは長年にわたって悪天候の代名詞。1982年が、その最初の年でした。チケット代がたった8ポンドだったのは幸いですが、代わりにフェスティバルに参加した2万5千人の人々は、かなりの悪天候と“泥”に耐えなければなりませんでした。1982年のフェスの金曜日には45年ぶりの降雨量が記録され、今でも伝統となっています。でも、だからといってグラスト信者がフェスを楽しまないわけはありません。1998年も信じられないほどの豪雨で、緑の野原が泥のプールになってしまったそう。そしてこの年に流行ったのが「マッド・サーフィン」。ノーコメントです!
フェスティバルは80年代から90年代にかけても成長し続け、The Cure、Madness、New Order、Simply Red、Happy Mondaysなど、当時イギリスで人気を博していた主要アーティストがヘッドラインを飾りました。しかし1994年、このフェスティバルを一変させる出来事が起こります。決して悪い意味ではありません。この年、チャンネル4がこのフェスを初めて生中継し、主要な 2ステージに焦点を当て、これまでフェスについてほとんど知らなかった人々に、その概要を紹介したのです。聖火のコスチュームをまとったオービタル(ORBITAL)のハートノール兄弟(ポールとフィル)の姿がテレビ放映されたことで、彼らのパフォーマンスもある種の伝説的な地位を獲得することに。その結果、国中のお茶の間でレイブを体験できるようになり、長いあいだ体制やマスコミに無視されてきたダンスミュージックが突如、さほど危険なものではなくなりました。1994年のテレビ放映が、グラストンベリーの音楽シーンの転機となったのです。マイケル・イーヴィスにとっては、ダンスミュージックがメインストリームの検討案にあがったことを意味しました。「これまでアンダーグラウンドだったものが大きなステージに進出し、もう後戻りはできなくなった。……何年も前から、秘密裏のレイブや市場のサウンドシステム、旅人たちのフィールドでは話題になっていた。しかしそれを合法化するためには、ショーケースが必要だった」。このライブが、ケミカル ブラザーズ、マッシヴ アタック、アンダーワールドなどのアーティストに道を開き、翌年以降、注目を集めるステージで演奏されるようになりました。そして1997年には、フェスにダンス・ヴィレッジが開設されるまでに発展したのです。オービタルは1995年に再びメインステージに登場し、ブリットポップの大御所パルプに次ぐ2番手で演奏しました。
1999年には、フェスティバルの収容人数は10万500人にまで達し、チケット価格は83ポンド。そしてコールドプレイが初出演を果たしました。しかしこの年は、フェスの共同創始者であるジーン・イーヴィスの死という出来事もありました。
2000年の新しい世紀は、レッド・ツェッペリンのシンガー、ロバート・プラントの洗礼を受けた新しいピラミッド・ステージで開幕しました。またデヴィッド・ボーイは、1971年当時に着たとの同じスタイルの流れるようなコートでパフォーマンスをおこないました。フェスティバルの人気はうなぎ登りでしたが、一方で深刻なセキュリティ問題にも直面しました。長さ5マイルの外周フェンスだけでは、観客の侵入を防ぐことができなくなったのです。2000年の公式入場者数は10万人でしたが、非公式には推定20万人。そこで2002年に、100万ポンドをかけて新しいフェンスを建設することになりました。そして2003年、新しいフェンスによって収容人数が制限されたフェスの10万枚のチケットは、わずか24時間で完売しました。
グラストンベリー・フェスティバルは、音楽やアーティスト以上に大きな存在となり、あらゆる分野にわたる創造性、アイデア、パフォーマンスの世界的なプラットフォームとして成長し続けています。レフト・フィールドは政治討論の舞台であり、トークやパフォーマンスなど活発なプログラムを提供。またグリーン・フィールドは緑の政治と環境問題を前面に押し出した空間です。2015年にはダライ・ラマを迎えました。しかし翌年2016年6月24日、フェスを訪れた人々は、イギリスがEU離脱を決めたというニュースで目覚めることに。PJハーヴェイがアザー・ステージでジョン・ドネの詩「No Man is an Island」を朗読するなど、多くのアーティストがこの衝撃的なニュースに反応しました。2019年には、デヴィッド・アッテンボロー卿がピラミッド・ステージに登場し、気候変動に注意を喚起するプロジェクト「Seven Worlds One Planet」を披露。またこの年、フェスティバル会場からすべての使い捨てペットボトルを撤去することに成功しています。
当時のフェンス・ジャンパーたち(フェンスを乗り越えて無料で侵入する観客のこと)がフェスティバルの来場者数を増やし、フェスを盛り上げたことに間違いはありません。ただ、それはイーヴィス・ファミリーの大切な理念――フェスティバルを積極的な社会貢献の手段として活用するという理念には反するものでした。今でもフェスティバルの収益のほとんどが、慈善団体に寄付されています。 グリーンピース、オックスファム、ウォーター・エイドという3大慈善団体への寄付のほか、社会住宅プロジェクトなど、地元の活動への支援もおこなっています。グラストンベリーでのパフォーマンスは、理念に共感する世界中のアーティストにとって通過儀礼のような存在となっています。2000年以来、グラストンベリーは2,000万ポンド以上を慈善団体に寄付してきました。
最後に、私がフェスティバルのなかで一番好きな時間帯、サンデー・レジェンドのパフォーマンスをご紹介しましょう。この時間帯はグラストのレギュラーとなり、驚くほど素晴らしいパフォーマンスを見せてくれます。
And the best of them all! Kylie Minogue, 2019:
Some photos from my day in Glastonbury: