“ジュビリー”の思い出―1977年のメモリー

イギリスでは今、エリザベス女王の在位70年を祝う「プラチナジュビリー」の準備が進められています。イギリス人にとって「ジュビリー」という言葉は、何世紀にもわたり君主を祝ってきた長い歴史があるため、とてもなじみ深いものです。ただ、元来の「ジュビリー」は、節目となる「記念日」を表す言葉。通常は25周年、40周年、50周年、60周年、70周年などと表記されます。聖書に由来するこの言葉は、現在では節目となる君主の在位の祝賀を表す言葉としてよく使われています。

私にとって思い出深いジュビリーといえば、1977年のシルバージュビリー(Silver Jubilee)です。女王の戴冠式25周年を祝う年でした。当時、私は12歳でしたが、2月に始まって6月にピークを迎える大イベントだったのを記憶しています。6月6日、ウィンザーで女王がかがり火を点灯したのをきっかけに、全国にかがり火が連鎖していきます。王族の祝典や結婚式、戴冠式には、高台にかがり火を灯して祝うという古くからの伝統です。かつてはコミュニケーションの道具として使われたこのかがり火の連鎖は、今では町や国境、国、大陸を越えた団結のシンボルとなっています。1897年にはヴィクトリア女王のダイヤモンド・ジュビリーを祝うためのかがり火が灯され、その後1977年には女王の銀婚式のために、2002年には金婚式、2012年にはダイヤモンド婚を記念したかがり火が設置されました。1977年当時、私はテレビでかがり火の点灯を見ましたが、かがり火が遠くまで灯っていく光景はとても美しく、本当に火がつながっているように思えました。

Jubilee beacons

そして翌日の6月7日は一大イベント。女王は「ゴールド・ステート・コーチ」と呼ばれる金の馬車でセントポール大聖堂に向かい、そこでは世界各国の首脳やイギリスの元首相たちが出席する感謝の礼拝が行われました。その後、女王と王室関係者はギルドホールでの昼食会に出席し、一行はモールを通ってバッキンガム宮殿へと戻りました。その光景はテレビ放映され、全世界で約5億人が視聴したそうです。この日、女王を一目見ようと、約100万人の人々がロンドンの通りに並んだと言われています。

とても興味深いのは、こうしたイベントによる人と人とのつながりです。実際6月7日には、普通の街角で普通の人々によって数えきれないほどのストリートパーティーが開催されました。ロンドンだけで4000以上のストリートパーティーが行われたと言われています。4000もの小さなコミュニティが集まって、お祝いやパーティーを企画したのです。知っている人も知らない人もみんな一緒にお祝いしました。コミュニティ同士でつながる、またとない機会です。

こうした大規模なストリートパーティーの始まりは、1919年の「ピースティー」と呼ばれる路上でのお茶会でした。第一次世界大戦やスペイン風邪に苦しんだ子どもたちのための特別なおもてなしとして開催されたそうです。それ以来、ストリートパーティーは子どもたちに焦点が当てられ、忘れられない1日をプレゼントするために行われてきました。イギリスでのストリートパーティーは、ピースティー以来、戴冠式やジュビリー、ロイヤルウェディングなど、大きなイベントがあるたびに開催されるようになりました。

Street Party, 1919

ストリートパーティーは、誰にでも企画することができます。必要なのは、ご近所を取りまとめてくれるリーダー的な存在だけです。まず重要なのは、道路を歩行者天国にする許可を得ること。1919年当時はさほど問題にはなりませんでしたが、現在は車が通らない道路はほとんどないため、この許可が必須です。実際に歩行者天国になると、車の心配がないため、子どもたちが自由に道で遊べた時代に戻ったようで、懐かしい気持ちになります。

それから、飾り付けも欠かせません。とくに”Bunting”が必須です。この小さな旗を紐につけて、道路に吊るします。王室をテーマにしたストリートパーティーでは、ユニオンジャックの旗が使われます。テーブルに椅子を並べ、住民たちが食べ物や飲み物を用意して、誰かが音楽(あまり大きな音だと警察に通報されます)を用意すれば、パーティーの始まりです。食べ物は、サンドイッチやソーセージロール、ケーキにゼリー、ソフトドリンクなど、子ども向けのものを用意します。ゲームももちろん必要。仮装大会も大人気です。


私のストリートパーティーの思い出は、すべて王室のイベントと結びついています。ただ最近では、イギリス政府は地域でのストリートパーティー開催を積極的に奨励しているため、各地で開催されています。とくに私の故郷ブリストルは、その先導役。ブリストルはもともとご近所付き合いの良い文化で知られている地域ですが、年間100回以上のパーティーが開催され、イギリスのストリートパーティの中心地となっています。市や政府の支援もあって、イギリスは今まさにパーティーシーズンです。

プラチナムジュビリーに向けて登録されているストリートパーティーの場所は、こちらのインタラクティブマップで確認することができます:  https://platinumjubilee.gov.uk/events/

このテキストを書いている現時点で、1171のパーティーが登録されています。

ポップカルチャーをちょっぴりご紹介(注意:パンクロックが含まれています!)

話は1977年に戻ります。6月7日、イギリス国民がストリートパーティーでシルバージュビリーを祝う中、テムズ川ではまったく別のイベントが行われていました。パンクバンド「セックス・ピストルズ」のマネージャーであるマルコム・マクラーレンが「クイーン・エリザベス」という名の船をチャーターし、ジュビリーの華やかな式典の最中に川をクルーズ。国会議事堂を通過する際に、リリースしばかりのニューシングル”God Save The Queen”を演奏したのです。マクラーレンは天才ですね! このボートパーティーには、デザイナーのヴィヴィアン・ウエストウッド、レコード会社Virgin Musicのオーナーであるリチャード・ブランソン、映画監督のジュリアン・テンプル、ロンドン音楽界のトップジャーナリストたちが参加していました。いつものセックス・ピストルズらしく、警察が介入してボートを強制的に停めたために大混乱。リチャード・ブランソンいわく、「警察がやってきて、状況を完全に誤解してボートを強奪したんだ。僕はボートに乗り込んできた警察と言い合いになって、彼らからは“契約書を持っているか?”と聞かれたよ。“もちろん持っていますとも”。君たちがここにいるのは、セックス・ピストルズだからだろう。セックス・ピストルズには今夜のジュビリーイベントに関わってほしくないってことだよ」

警察によってその場はカオス状態となりました。マネージャーのマルコム・マクラーレンが、その言動のせいで10人ほどの警官に殴られ、逮捕されてしまったのです。完全に警察の過剰反応でしたが、セックス・ピストルズとヴァージンミュージックの評判が悪くなることはありませんでした。”God Save The Queen”の売上げはうなぎ登りに。ロックンロール史におけるバンドの地位は確かなものとなりました。

その後1999年、リチャード・ブランソンは女王からナイトの称号を授与されました。おそらく、すべて許されたということになるのでしょう。

NEWSLETTER