イギリスの偉大なリンゴ物語

現在イギリスでは、年間に約500億個のリンゴが消費されています。すごい数ですよね。ただ、実際にイギリスで生産されているのは、そのうちの約30%ほど。しかもリンゴの生産者たちに人気があるのは、ニュージーランド・ガラなどをはじめとする海外品種です。さまざまなビジネス事情やスーパーマーケット事情のせいでこうした状況になっているのだと思いますが、私はやっぱりイギリスならではの品種が大好きです。なかでもお気に入りは、コックス・オレンジ・ピピン。甘さと酸味のバランスがとても良く、しっかりとした食感が特徴です。イギリスに帰った際には、コックスのリンゴに分厚いチェダーチーズのスライスを添えてパクリ。私にとって最高のご馳走です!

Cox’s Orange Pippin

かつてリンゴはイギリスの風景そのもので、郊外の広い地域のほとんどはリンゴの果樹園でした。そして、リンゴという果物そのものの未来をつくったものも、じつはイギリスの園芸家たちでした。

リンゴは栽培するのがとても難しい植物です。話は数千年前にまで遡りますが、初期の園芸家たちは、ある困難に遭遇します。美味しかったリンゴの種を植えても、次に採れるリンゴの味はさまざまでした。というのも、種はひとつひとつ遺伝子が違うため、果物の味もつねにバラバラ。甘かったり酸っぱかったりと、ばらつきがあるのです。リンゴは昆虫によって受粉されることもあり、約半分は同じ木の遺伝子になり、もう半分は別の木から受け継がれることになります。

そんなわけで人間たちが直面したのは、次の世代のリンゴの木をオリジナルの木と確実に同じものにするためには一体どうすればいいか、という問題です。その答えは、クローンを作成することでした。つまり「接ぎ木」をするのです。接ぎ木という手法は、5000年前にローマ人がブドウの木でおこなったのが最初だと言われていますが、現在も商業栽培用のリンゴの木々はまったく同じ方法で接ぎ木されています。必要なのは、次の木の土台となる根(台木)と、育ってほしい品種のリンゴの新芽や小枝。これらを互いにテープなどで貼り付けます。それだけで、あとは自然に融合していくのです。この接ぎ木の手法のおかげで、お気に入りのリンゴの木を何度でも複製できるようになりました。

そして、この方法によって、イギリスの有名な料理用リンゴ「ブラムリーアップル」が生まれました。最初に植えられたのは、200年以上前のノッティンガムシャーの庭。そのクローンたちのおかげで、イギリスに新たな産業が生まれたのです。

いま流通しているブラムリーアップルの最初の木は、1809年から1815年にかけてメアリーアン・ブレイルズフォードによって種から育てられたものだと言われています。1837年、マシュー・ブラムリーという新しい所有者のときに、1本の苗木が非常に小さな実をつけました。そこで地元の庭師ヘンリー・メリーウェザーが、のちにその木から挿し木を取る許可を得て、ブラムリーの苗として正式に登録されることになりました。

世界で人気のブラムリーアップルの誕生です。

オリジナルのブラムリーアップルの木

このブラムリーアップルの木は生きた歴史であり、イギリスの果物産業にも大きく貢献しています。木は今でも健在で、この木を守るために科学者たちが奔走しています。

現在私たちが食べているすべてのブラムリーアップル、そしてこれまで育てられたすべてのブラムリーアップルの木が、この1本の木に由来しています。すごいことですね。

ブラムリーと同じようにイギリスで愛されているデザートリンゴ「コックス・オレンジ・ピピン」は自然からの贈り物でした。1820年代にリチャードコックスによって種から育てられたのが最初です。強い芳香のある味わいで、世界にその名を届けました。

素晴らしいリンゴの品種のいくつかは自然からのギフトですが、改善してより美味しく、より経済的に生産できる品種を開発したいと思うのが人間のさがです。それを最初に実現したのは、イギリス人であるトーマス・アンドリュー・ナイト。ビクトリア朝時代のことでした。のちに王立園芸協会の会長になった彼は、何十年にもわたる試行錯誤の末、品種改良を成功させました。最初のハイブリッドリンゴの誕生です。そして、この成功は富裕層の庭師たちのあいだで話題になり、結果、競うようにして新しい品種が生み出されました。その数は2500種にも及んだそうです。

しかし、商業用のリンゴ園では失敗がつづきました。人気品種であるコックスは病気になりやすく、商品として売れるようなものに育ちませんでした。そこで1913年、リンゴ生産者と政府によってケント州に設立されたのが「イースト・マリング・リサーチステーション」と呼ばれる施設。リンゴの生産を科学的に研究する機関で、現在でも果物の科学の原動力となっています。ロナルド・ハットンが率いる科学者たちは、リンゴの木の細部を精査しはじめました。彼らは、木の根のあらゆる側面を測定し記録できるようにと、ガラス窓のある精巧な観察トンネルを掘りました。

そして、この綿密な研究の結果、健康な木を育てるカギは根にあると判断しました。そこで16種類の台木(マリング1〜16)を選んでテストしたところ、それぞれの木の大きさ、果実の量、耐病性などが異なることがわかりました。勝者はマリング9=M9。適度な大きさの果実をつけるコンパクトな木です。 M9は今もなお大成功を収めていて、 1939年までに100万本のM9台木が生産者に供給され、その知識は世界中に輸出されました。しかし、イースト・マリングは台木の特許を申請しなかったため、イギリスはリンゴ生産国として優位に立てるはずだったそのポジションを逃す羽目になります。代わりにヨーロッパ各国の競合が強化される結果となったのです。ヨーロッパで栽培されたリンゴの95%は、M9から派生したものだと考えられています。

そして残念なことに、イースト・マリングの優秀な科学者たちの次の仕事が、地元産業にさらに圧力をかけることになります。リンゴの熟成を一時的に停止し、船積みで世界中からリンゴを運ぶための保管方法を見つけたからです。戦後、イギリスにスーパーマーケットが誕生したことで、消費者は「ジョナサン」のような北米産の光沢のある輸入品種を好むようになっていました。

1970年代、消費者が恋に落ちたのは、フランスから輸入された青リンゴ「ゴールデンデリシャス」でした。甘味が強く、光沢があってどれも均一なサイズなのは完璧な見た目で、価格もイギリスのリンゴより安価でした。そして、もちろんM9台木を使って育った品種です。フランス政府はイギリス市場向けに、多額のマーケティング予算で製品をあと押しし、テレビコマーシャルキャンペーン「Le Crunch」を大成功させました。

ゴールデンデリシャスの成功により、イギリスの地元のリンゴ栽培産業は衰退し、全国の果樹園から何万本ものリンゴの木が伐採されました。スーパーマーケットは見栄えのいいリンゴが大好きですから、その後も数十年にわたって、ニュージーランドやオーストラリア、南アメリカなどからの輸入リンゴを大歓迎したのです。

でも、イギリスの偉大なリンゴのすべてが失われてしまったわけではありません。依然としてスーパーマーケットはイギリス産のリンゴをサポートするのに消極的ですが、何百もの新しいコミュニティ果樹園が各地につくられ、失われた品種が復活しはじめています。今イギリスは、大リンゴブームなのです。地元の人々は、イギリスのリンゴを地域コミュニティで活用するために、ざまざまな取り組みをおこなっています。

Apple Dayはイギリスのリンゴを祝う日。毎年10月21日に開催されます。

リンゴにまつわる私のお気に入りの言葉といえば…TO SCRUMP – 果樹園や庭から果物(リンゴ)を盗みます。

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