イギリスのスパイス

Swan&Lionの商品には、スパイスがふんだんに使われています。スワン&ライオンを起ち上げ、東京のファーマーズマーケットで最初に販売したチャツネ、ピクルス、ピカリリなどの瓶ものにも、クミンやコリアンダー、マスタードシード、スターアニス、シナモン、ナツメグなどなど、たくさんのインドのスパイスを使用しています。また、クリスマスの時期には欠かせないクリスマスプディングやミンスパイにも、シナモン、ナツメグ、ジンジャーなどのスパイスがたっぷり入っています。もちろん、いつものラインナップであるベーコンオニオンチーズパイにもナツメグが、ソーセージロールにはフェンネルシード、ポークパイのメースといった具合に、スワン&ライオンの製品とスパイスは切っても切れない関係です。

私が幼い頃は、スパイスといえばデザートなどのスイーツに使われるのが主でした。ジンジャービスケットやアップルクランブルにトッピングするシナモンなどがそうです。もちろんクリスマスには濃厚なスパイスの香りを纏ったクリスマスプディングやミンスパイがお馴染でしたが、その当時は正直言って、あまり好きではありませんでした。

私が本格的なスパイスを使った料理を体験したのは、1970年代に入った、10代の前半頃です。その頃まで、祖父母や家族と一緒に自宅で食べる食事といえば、本当に伝統的なイギリス料理ばかり。つまりは肉と野菜です。学校の給食もほとんど変わりなく、スパイスを使った料理が出てくることなどはありませんでした。唯一、覚えているのは、ほんの少しだけパプリカパウダーが香る牛肉のグーラッシュ。でも、やはりあまり美味しくはなかった気がします。

ただ、徐々に外食がポピュラーになり始め、またイギリスに入ってきた移民たちによるレストランがオープンするなどの変化が起こってきました。私が住んでいたブリストル中心部には、中華料理店とインド料理店が1軒ずつあって、それが唯一の選択肢でした。私の両親も、ときどきご褒美のような感覚でテイクアウトを利用していました。覚えている料理は、フィッシュ&チップスにエキゾチックな香りが加わった一品。ザ・ハウス・オブ・ウォンという名の中華料理店は当時、イギリス人の味覚に合わせた中華料理を提供していました。当時はそれが精いっぱいの中華料理だったのでしょう。よく揚げた豚肉のミートボールを甘酸っぱいソースでからめたものや焼きそばです。とても美味しかったですが、本当の中華料理とはいえません。一方、インド料理店のタージマハルでは、さまざまなカレーやご飯料理、インドのナンなど、より本格的な料理を提供していました。

昼間はイギリスのカフェ「フライパン」。夜はインド料理店「タージマハル」。1970年大のブリストルではまだ、カレーだけを扱うレストランの準備が整っていませんでした。

その頃、私の父(去年、天に召されました)は料理に興味を持ち始めました。結婚式の贈り物としてもらったルクルーゼの鍋が、キッチンでの彼の新しい親友になったのです。彼の料理のほとんどは、ルクルーゼでゆっくり時間をかけて調理されたものでした。父が作ってくれた料理のなかでもよく覚えているのは、フランスのキャセロールとインドのカレーです。そして父の作るカレーは本当に美味しかった! 最近、母と話をするなかで、父が最初に料理を作ったのはロンドンのインペリアルカレッジの学生だったときだったと聞きました。彼の料理のバイブルは、1952年に出版された「Penguin Cookery Book」。母はまだその本を持っていて、ときどき使っているそうです。

カレーソースのレシピが載っています。父は大学時代からカレーに興味を持っていたようです。

私の父が料理への関心を強めたもうひとつの理由は、1970年代、イギリスの家庭料理に非常に重要な影響を与えたテレビシェフのデリア・スミスだったのではないかと思います。彼女の「Complete Cookery Course 」という本では、カレーのレシピも紹介されています。1978年にはBBCのテレビシリーズにもなり、最初のエピソードはスパイスに捧げられました。

1978年に出版されたデリア・スミスの『コンプリート・クッカリー・コース』。出版後、イギリスでは卵の売り上げが10%も増えたそう。私は1990年代版を持っていて、今でも使っています。

スパイスに捧げられた第1エピソードの映像は見つからなかったのですが、番組がどんなものであったかは、こちらの映像でもおわかりいただけると思います:

彼女はこのテレビシリーズで、スパゲッティ・ボレネーゼやミラノ風リゾットなどをはじめ、当時のイギリスでは誰も自宅で作らなかったような料理を次々に紹介しました。それ以来、私たちは長い長い道のりを歩んできたのです!

私自身のスパイスへの旅は、1980年代半ば、マンチェスター大学で法律を勉強するために実家を出たときに始まりました。お金があまりないので、シェアハウスのハウスメイトたちと一緒にたくさん料理をしました。家賃が安くて学生に人気のあったラスホルムという町の郊外に住んでいたのですが、ラスホルムにはインド人やパキスタン人、バングラデシュ人などのコミュニティがあって、安くて美味しいカレーレストランもたくさんありました。でも何より私がワクワクしたのは、スパイスや野菜を売っているアジア食材店でした。自立してお金を切り詰めて生活するのは初めてのことで、こうした食材店が私に自炊するきっかけを与えてくれたと思います。シェアハウスの3人のメンバーとの食事といえば、大鍋で作ったカレー。もちろん何日も食べることになります。当時作ったカレーはさほど洗練された味ではなかったかもしれませんが、自炊の機会があったおかげで、私はいろいろ試作をして、料理を学ぶことができたのだと思います。

イギリスのスパイスの歴史を簡単に

とてもびっくりですが、じつは、私は学校でイギリスのインド植民地化の歴史を学んだことがありません。でも、妻のキオは、日本では世界史の一部として習う内容で、わりと一般的に知られているはずだと言います。なぜ、私は習わなかったのでしょうか。イギリスでは教育カリキュラムの一部ではなかったのでしょうか。

伝統的なイギリス料理とスパイスとの繋がりは、中世にまでさかのぼります。 1300年代、香辛料はヨーロッパ本土から輸入され、富裕層だけのものでした。黒コショウやクローブ、生姜、メース、サフランなどがよく知られていました。その後、大英帝国の拡大により、スパイスがより手頃な価格になり、一般市民も利用できるようになったのです。

実際のところ、イギリスは他のヨーロッパの国々に比べて、新地開拓などのレースには乗り遅れていたと言えるでしょう。 大航海時代と呼ばれる15~16世紀はポルトガルとスペインが活躍し、船で航行し陸海の海図の作成をリードしてきました。1400年代後半までに、ポルトガル人はアフリカの西海岸を下って喜望峰(南アフリカ)を周り、アフリカの東海岸を上ってインドに向かい、1498年に最初にカリカットに上陸しました。日本のみなさんにはバスコ・ダ・ガマという名前もお馴染のようですね。イギリスの商人たちは、ポルトガルとスペインがアジアでの取引で生み出した莫大な富に嫉妬し、1600年、エリザベス1世に特許状を求め、王家に代わって南東アジアとの独占的交易をする許可を求めます。商人たちはベンチャーに資金を提供するために自ら投資し、イギリス東インド会社が誕生しました。

East India Company Coat of Arms

そして1608年、最初のイギリス東インド会社の船がインドのスラトに上陸し、アジアの表象を変えました。その影響は今に至っています。イギリス東インド会社の勅許状では「戦争を行う」能力も与えられていたため、当初は軍事力で自らを保護し、ライバルたちと競うことになりました。しかし1757年、インドのベンガル地方で、イギリス東インド会社の軍とベンガル大守(ムガル帝国の地方長官)との戦いが勃発します。これを機にムガル帝国はイギリスに掌握されることになります。このプラッシーの戦いで3,000人の軍隊を率いた軍人ロバート・クライヴはベンガルの知事になり、税金と税関の徴収を開始し、インドの商品を購入してイギリスに輸出するために使用しました。その後、イギリス東インド会社はフランスとオランダをインド亜大陸から追い出し、事実上、大英帝国に代わってインドを支配しました。

貿易を独占するにつれ、イギリス東インド会社は、ボンベイ、マドラス、カルカッタ、シンガポール、香港など、世界の多くの大都市を生み出しました。

スパイスの価格は、1800年代半ばまでに大幅に下がり、ロンドンのPayne’s Oriental Warehouse (328 Regent Street) やThe Oriental Depot (38 Leicester Square)などの専門店でも扱われるようになりました。

Regent Street c1850

労働者階級の賃金が上がってくると、彼らは料理にもスパイスを使うようになります。代わりに富裕層はスパイスに背を向け、当たり障りのない料理を選択しました。つまり、富裕層の食べ物は、階級を維持するために、より味気ないものになったのです。新しい料理スタイルは「ニュー・ブリティッシュ」と呼ばれ、「オールド・ブリティッシュ」の人々とは一線を画しました。ニューブリティッシュとは、主にインド、アフリカ、東南アジア、中東の地からスパイス愛を持ち込んだ移民たちです。

しかし、カレーはロンドンのプライベートクラブ――とくに1824年に設立されたオリエンタルクラブで人気でした。クラブはインドやアジアなどの地域からイギリスに戻ってきた紳士たちのために設立され、メンバーは主に東インド会社の裕福な労働者や軍人でした。このクラブで彼らは海外での思い出の日々を追体験し、アジアの地を想起させる料理を楽しみました。クラブの料理長であるリチャード・テリーは、1861年に『インディアン・クッカリー』を出版。そこには、「私自身の料理の知識だけでなく、ネイティブ料理の知恵も収められている」と記されています。そして今月のレシピは、この本からご紹介。彼のカレー粉レシピを使ったチキンカレーです。

レシピはこちらからご覧ください: https://www.swanandlion.com/chicken-curry-using-19th-century-curry-powder-and-paste/(opens in a new tab)

さあ、次は、イギリスのアンティークのスパイス画のご紹介です。私の親友リチャード・ジェフリーとジュンコ・ジェフリーが経営するJ.ジェフリーズプリントギャラリーから、美しいスパイス画をたくさん貸してもらいました。こうした美しいアンティーク植物画のコレクションが山のようにあるそうです。販売もしていますので、ご興味のある方はぜひ。写真のなかった時代には、こうした詳細なスケッチによって、新しいスパイスやハーブを記録したのです。

詳細情報はフェイスブックをご覧ください: https://www.facebook.com/jjpgallery/shop/?referral_code=page_shop_tab&preview=1&ref=page_internal

White flowered all-spice tree, pimento or Jamaica pepper tree, Myrtus pimenta. Handcolored copperplate engraving from a botanical illustration by James Sowerby from William Woodville and Sir William Jackson Hooker’s “Medical Botany” 1832. The tireless Sowerby (1757-1822) drew over 2,500 plants for Smith’s mammoth “English Botany” (1790-1814) and 440 mushrooms for “Coloured Figures of English Fungi ” (1797) among many other works.
Black pepper with red peppercorns, white flowers, and section of seed. Piper nigrum. Handcolored copperplate engraving from a botanical illustration by James Sowerby from William Woodville and Sir William Jackson Hooker’s “Medical Botany” 1832. The tireless Sowerby (1757-1822) drew over 2,500 plants for Smith’s mammoth “English Botany” (1790-1814) and 440 mushrooms for “Coloured Figures of English Fungi ” (1797) among many other works.
Leaves, flowers and seed of the cardamom plant, Elettaria cardamomum. Handcolored copperplate engraving from a botanical illustration by James Sowerby from William Woodville and Sir William Jackson Hooker’s “Medical Botany” 1832. The tireless Sowerby (1757-1822) drew over 2,500 plants for Smith’s mammoth “English Botany” (1790-1814) and 440 mushrooms for “Coloured Figures of English Fungi ” (1797) among many other works.
White-flowered Cinnamon tree with purple drupe, Laurus cinnamomum. Handcolored copperplate engraving from a botanical illustration by James Sowerby from William Woodville and Sir William Jackson Hooker’s “Medical Botany” 1832. The tireless Sowerby (1757-1822) drew over 2,500 plants for Smith’s mammoth “English Botany” (1790-1814) and 440 mushrooms for “Coloured Figures of English Fungi ” (1797) among many other works.
Clove tree, Syzygium aromaticum. Handcoloured copperplate botanical engraving from Johannes Zorn’s “Afbeelding der Artseny-Gewassen,” Jan Christiaan Sepp, Amsterdam, 1796. Zorn first published his illustrated medical botany in Nurnberg in 1780 with 500 plates, and a Dutch edition followed in 1796 published by J.C. Sepp with an additional 100 plates. Zorn (1739-1799) was a German pharmacist and botanist who collected medical plants from all over Europe for his “Icones plantarum medicinalium” for apothecaries and doctors.
White flowered coriander, Coriandrum sativum. Handcolored copperplate engraving from a botanical illustration by James Sowerby from William Woodville and Sir William Jackson Hooker’s “Medical Botany” 1832. The tireless Sowerby (1757-1822) drew over 2,500 plants for Smith’s mammoth “English Botany” (1790-1814) and 440 mushrooms for “Coloured Figures of English Fungi ” (1797) among many other works.
Caraway, Carum carvi. Handcoloured botanical illustration drawn and engraved on steel by William Clark from John Stephenson and James Morss Churchill’s “Medical Botany: or Illustrations and descriptions of the medicinal plants of the London, Edinburgh, and Dublin pharmacopœias,” John Churchill, London, 1831. William Clark was former draughtsman to the London Horticultural Society and illustrated many botanical books in the 1820s and 1830s.
Nutmeg and mace, Myristica aromatica. Handcoloured copperplate stipple engraving from Jussieu’s “Dictionary of Natural Science,” Florence, Italy, 1837. Engraved by Corsi, drawn by Pierre Jean-Francois Turpin, and published by Batelli e Figli. Turpin (1775-1840) is considered one of the greatest French botanical illustrators of the 19th century.
Chinese star anise or star aniseed, Illicium verum. Handcoloured stipple copperplate engraving by Lambert Junior from a drawing by Pierre Jean-Francois Turpin from Chaumeton, Poiret et Chamberet’s “La Flore Medicale,” Paris, Panckoucke, 1830. Turpin (1775~1840) was one of the three giants of French botanical art of the era alongside Pierre Joseph Redoute and Pancrace Bessa.
Turmeric, Curcuma longa. Handcoloured copperplate botanical engraving from Johannes Zorn’s “Afbeelding der Artseny-Gewassen,” Jan Christiaan Sepp, Amsterdam, 1796. Zorn first published his illustrated medical botany in Nurnberg in 1780 with 500 plates, and a Dutch edition followed in 1796 published by J.C. Sepp with an additional 100 plates. Zorn (1739-1799) was a German pharmacist and botanist who collected medical plants from all over Europe for his “Icones plantarum medicinalium” for apothecaries and doctors.

最後に、スパイスとイギリスを語るうえでどうしても外せないのがスパイスガールズ! 90年代に大人気を博したイギリスのpop女性グループです。当時イギリスでは、5人のメンバーそれぞれに「ベイビー・スパイス」「ポッシュ・スパイス」というようなあだ名がついていて「誰がいちばん好き?」という質問が流行ったものです。私はスポーティスパイスとして活躍していたメラニー・Cがお気に入りでした。

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